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第七段浦上地区
第七段は浦上地区のお話です。
今回から長崎電気軌道の事に詳しい梨森氏・崎戸氏より、資料をいただきパワーアップしてお送りします。
浦上地区は戦後もっとも軌道が大きく変更された地区です。開通時は現在の路線がある一体は田園地帯でした。
当時は図中赤い軌道のように東側に大きく迂回した路線でした。当時は東側の山手に医学校、県立病院や住宅があったために
このような路線になっていました。
・”山王神社前”電停は大正4年11月16日”坂本町”として開設、その後大正9年に路線が下の川まで延長された後に一度廃止になりました。
昭和14年に再開された時に”山王神社前”の名称で復活、その後戦況が厳しくなり停車数を減らして運行する急行運転により廃止になってしましまい
現在もこの名前の電停はありません。
・”病院下”開業時大正4年11月16日開設、開業時(病院下←→築町)の起点停留所として設置されました。
操車員詰所も設置され、ホームの幅も3.13mあり大正末期には上屋やベンチも設置されていました。
その後何度か停留所の名称変更があり昭和10年代に”大学病院前”となり、原爆により全壊。
戦後の昭和22年5月、現軌道の”岩川町”に移設,昭和29年2月”大学病院前”として現在の位置に復活しました。
・”浦上”電停は開業間もない。大正4年ごろ開設され、終端は単線になっていました。
病院下での折り返しがこの場所だったために停留所になったものとすいそくされます。
尚、大正11年には廃止になっているため詳細は不明です。
その後は以前ご紹介した、現在西洋館がある”浜口町”電停方面に大正9年に路線が”下の川”まで延びて
路線が昭和8年に大橋まで延長されるまで、下の川が終点になりました。
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