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第八段茂里町地区
第八段は茂里町地区のお話です。
前回、第七段・浦上地区の路線に続き、浦上駅前から井樋の口(現在の銭座町あたり)までは国道の西側に寄って敷設されていて、現在の長崎バス茂里町車庫と平行して流れる川に沿った専用軌道でした。
昭和31年に国道が拡幅された際に現在の国道上に移設になりました。電鉄創設当時は井樋の口から長崎駅前は第三弾・宝町でお伝えしたように現在のJRと平行して走っていましたが、これも昭和32年の国道拡幅時に現在の国道上へ移設されました。
この銭座町から宝町方面への国道の中央部はかつては御舟川だったそうです。今では想像もできませんね。
さて、電停を一つずつ見ていきましょう。
・”竹の久保通”電停は大正4年11月16日開業と同時に開設その当時は上り線のホームは川に張り出した状態で設置されていました、昭和19年1月戦争時の急行運転により一時廃止されたが昭和29年2月1日に復活。
昭和31年軌道が現在の位置へ変更された際に移設その際安全地帯も設置されました。昭和41年9月20日現在の”茂里町”に名称変更されました。現在はこの名称の電停はありません。
・”本社前”大正8年ごろ開設され”竹の久保通”同様、上り線ホームは川に張り出して設置されていました。昭和11年に”茂里町”に改称し昭和19年の急行運転により廃止、先に書きましたように昭和41年に現在の”茂里町”として復活しました。
電停の名前のように大正5年2月から現在の長崎バス車庫向のパチンコ屋や立体駐車場があるあたりに、長崎電気軌道の本社及び茂里町車庫が設置されていました。
その後、本社は昭和10年に馬町(現在の諏訪神社前)に、車庫は昭和12年に蛍茶屋にそれぞれ移転されました。
・”井樋の口”電停は大正4年11月16日現在の宝町公園の西側に設置されました。路線も公園を迂回してJRに併走する形で宝町〜八千代町〜長崎駅前へと通じていました。
昭和31年に現在の銭座町交番前に移設され,昭和41年に”銭座町”へ改称、昭和46年には歩道橋架設、同時に電停へも結合されてました。歩道橋は平成10年ごろに撤去され、電停も現在の場所に移設になりました。
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